多摩田園都市開発は、東急電鉄会長の五島慶太によって発表された「城西南地区開発趣意書」によってはじまりました。開発は、イギリスの田園都市「レッチワース」をモデルにして、民間としては最大の開発になります。
青葉区はこの多摩田園都市構想により急速に都市化が進んできた街です。
ここでは多摩田園都市構想をふりかえってみることで青葉区都市化の流れをみてみましょう。
東京急行電鉄株式会社が多摩田園都市の開発30周年を機に刊行した。昭和28年(1953)から昭和63年(1988)までの開発の様子を、図や写真を多用し、詳細に記述されている。昭和30年代以降の町の変遷が土地開発の歴史と重なる青葉区を知る主要資料の1つ。土地区画整理事業、人口・世帯数の変遷などの資料、年表も充実している。
東京急行電鉄株式会社が「緑の都市賞」受賞を機に刊行した。昭和28年(1953)からの田園都市開発の歴史を、緑を中心にして写真や図を多用し詳細に取り組みが記述されている。
「日本建築学会賞」を受賞した東京急行電鉄株式会社が刊行。田園都市開発の歴史を街づくりを中心に、図や写真を多用して記述している。分布図や年表などの資料も収録されている。
都市化が急激だった東横沿線の昔の写真を、21世紀に残すべくまとめられた写真集。青葉区全域から集められており、開発前の写真も多く収録されている。
あざみ野在住の根本藤吉さんが、二十余年のあいだに撮りためた写真集。あざみ野・荏田・美しが丘を中心に都市開発の様子と各種行事が写されている。