1977年9月27日、厚木海軍飛行場を飛び立った米軍機が、エンジン火災を起こし、青葉区の荏田北(事故当時の地名は緑区荏田町)に墜落しました。
この事故により、周辺家屋20戸が炎上し9名が負傷、内2名は翌日死亡、1名が後日死亡という大惨事となりました。
墜落事故のあとの新聞、テレビ、ラジオ、雑誌論文、調査報告といった資料をもとに事故についてまとめた1冊。
墜落事故で二人の子どもを失った和枝さんは、自身も大やけどを負い4年4ヶ月におよび闘病ののちに亡くなりました。
和枝さんの日記と筆談記録を中心に取材を加えてまとめた1冊。
「港の見える丘公園」に設置されている横浜米軍機墜落事故の犠牲者をモデルとした「愛の母子像」は、当初碑文をつけることが許されませんでした。 碑文がなければ後世にあって設置の意味がわからなくなってしまうということで、婦人団体などで構成した団体が“鳩よよみがえれ”と台座に記した別の母子像を横須賀に建立しました。 この冊子はその母子像建立の運動について書かれています。
墜落事故をテーマとした絵本『パパママバイバイ』は大きな反響を呼び、スライドや映画が製作されたり、読み聞かせや平和教育の教材として利用されました。 それらの内容や活動の様子を紹介した1冊。
事故で失った娘と孫への想いを、授産施設「愛」の設立などに力を注いだ土志田勇氏。
墜落事故から施設ができるまで、悲劇に立ち向かう勇氏と支える人々の姿を絵本として、日英二か国語での文章でまとめられています。
タイトルは勇氏が専門家に依頼し、作ってもらった新種のバラ「カズエ」に由来しています。
大輪のバラ「カズエ」は「港の見える丘公園」のローズガーデンをはじめ各地に広がっています。
墜落事故で二人の子どもを失った和枝さんは、自身も大やけどを負いました。何回もの皮膚移植を繰り返し、苦しい病床にありながらも「生きよう」とする和枝さんの姿と事故について描いた絵本です。
墜落事故とその後の経緯を総合的に知ることができる年表。1977~2006年を収載。それぞれのできごとが何に関連するのか、「被災者」「裁判」「議会行政」「運動」「関連」「一般」の項目にチェックが入っています。
現職の神奈川県議として墜落事故に向き合った著者は、犠牲者を想い無念を胸に抱きます。
そして事故から30年を経て、事故について子どもたちやお母さんに読んでもらおうと、この本を執筆しました。
墜落事故の犠牲となった母子の追悼と平和の願いを込めて、横浜・港の見える丘公園に「愛の母子像」が建立されています。この冊子には、事故から母子像建立までのことがまとめられています。
墜落事故で娘と孫を失った著者が、28年を経て事故の記録、娘の思い出、福祉事業の立ち上げについて綴った1冊。
『「あふれる愛」を継いで 米軍ジェット機が娘と孫を奪った』(七つ森書館、2005年【書誌番号】3-0205068094)の改題。
墜落事故の直後からつくられた詩や短歌、俳句、碑文など約40人の100作品をまとめた詩歌集。
墜落事故から35年の節目にあたり、事故を語り継ぐ活動をまとめた冊子。二部構成で、第一部は中学生の演劇やミュージカルなどの活動を紹介、第二部は、関連書籍、演劇台本などを紹介しています。