ごかそんようすい

江戸の知恵争い治めた五ヶ村用水

江戸の知恵争い治めた五ヶ村用水

元文元年(1739)鶴見川開水水利に関し、上、中、下鉄、大場町、市ヶ尾村の五ヶ村と水元の下麻生村、早野村との間に大争議が起こり訴訟沙汰になりました。
争議の経緯やその時の追訴について手記をまとめたのが名主利右衛門です。
五ヶ村の用水は鶴見川本流下麻生で堰き止め草堰取水して、早野村を経て五ヶ村に導き、灌漑用として利用された後、下流の川和村で再び鶴見川に放水するもので、全長1里半、幅約7尺、五ヶ村で約50町歩を潅水していました。

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