大山道は矢倉沢往還とも呼ばれてきました。中世の東海道も横浜市ではほぼ同ルートを辿っていたと言われています。 江戸時代に入り大山参詣、富士信仰が盛んになり、東海道の脇往還として賑わいを見せるようになりました。 青葉区内の当時の大山道は今と違って人々の集落も少なく、明治時代でも追い剥ぎが出たという話も残っています。